まぁ、「とある」とは、学生時代だったり、某企業にいた頃だったり、今、勤めている会社時代(現在も含む)だったり、etcなどで、知り合った人であり、様々です。
ビックリしたことに、皆さん、素晴らしい方々であった、と過去形になるところが、現在進行形で素晴らしい、ご活躍をされてらっしゃることを再度、認識する機会がありました。
個人の比較をすることは、一般的にも個人的にも良くないことだと重々承知の上で、敢えて自分と、彼ら彼女らとを比較し、再度、少し思考してみました。
弱気になっても、その素振りを見せない私が、少し「他人頼り」という、その素晴らしき彼ら彼女らに、
「頼ってもいいかな?」
という、邪悪な思案が過ぎりました。
「イヤ! ダメだ! 俺はそんな甘ちゃんじゃねーぞ!」
と無理に強がってみると、その一寸の悪夢から覚めることができました。
まぁ、勿論、人間は一人では生きていけません。
でも、それを超えて、何らかの利害関係を企んで知人を頼るというのは個人的に大嫌いです。
「金の切れ目が縁の切れ目」
は、その具体例の一つの過程と結果として、揚げられます。
それより邪悪な思考回路は、
「縁を頼って、金を欲すれば、その縁が切れる」
ということだ、と思うのです。
だから、「自分頼り」なんです、私は。
決して誰も信用しないとかじゃーありません。
「自分を信じられないで、他人を信じられるか!」
と誰かが言ってたのも、その「自分頼り」→「他人を信頼する」というプロセスで、正常だと思います。
一方、「他人頼り」して手に入れたり、身につけた財産・知識・地位・栄誉などで、あたかも「己自分自身の力」で、収得したもんだ!と「勘違い」してる人、これ問題だと思うんです。
実際、昨今のニュースでも、某馬鹿社長だったり、某馬鹿リーマンだったり、他諸々、上記の誤った「勘違い」した結果、ポリさんに捕まってる件が、多々報道されてます。
自信と自己過信との違いとも言えると思います。
まぁ、そんなこと考えていると、私はやはり、己を信じて、たとえ辛苦の道でも行けるとこまで行ってやろう!と思ったわけです。
「守るべきもの、失うものは、何もない!」
実際、5年以上前までは、そう思ってました。
が、両親も共に病を抱えていますし、さすがに、長生きはしてもらいたいので、両親は守る、失いたくない。
また、私の大事な人間関係という無形の財産以外、
「守るべきもの、失うものは、何もない!」
という上記の通り例外は、年と共に増えましたが、まだまだ、怖くない!
「やるぞー、やるぞー、やるぞー!」
と言ったら変な宗教みたいですが、己を良い意味で催眠するのは心理学的に良い結果が出る、というデータがあるらしいので、自己暗示してます。(笑)
彼ら彼女らに対して、悔しく感じるとか、負けられないとかというのとも違います。
ただ、当サイトのトップにもあるとおり、
「おもしろき こともなき世を おもしろく」
を実現させ、
「楽しい」ライフを送りたい、という一念のみです。
って、よく誤解されるんですけど、「楽しい」ってのは、ずーっと楽しい状態が続くことを希望しているわけではないです。
そんな「楽しい」感じを、死ぬまで恍惚したいんであれば、言い方が悪いですが、「薬」でもやればいいわけですよ。
非合法・脱法的な行為は、絶対にしたくありません。
ちょっと話がずれましたが、「楽しい」状態をつくるために、「頑張る」ってのが必要なのです。
今、思い出しました。
学生時代の恩師が、
「富士山に登頂して満足するのではダメ。山脈のそれぞれの頂に、登頂しては降り、また登頂しては、降りの繰り返しをすることが必要だ。」
と言ってました。
その感じですね、私が言いたかったのは。
今のところ、私はそれを実行していますし、これからも実行していきたいです。
って、ちょっと、長々となりましたので、今回はこの辺りで。



