いい年して未婚者の私が言うのも憚れますが、パートナーと「価値観が近いこと」ってそんなに重要なのでしょうか?
まず内閣府の平成26年度の「結婚相手に求めるものの条件」のデータを下記に掲載します。データの数値が見づらくてすみません。
引用元 結婚観(1)ー 平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」報告書
20代、30代の男性の7割以上、女性では8割近くが「価値観が近いこと」を結婚相手に求める条件としています。他の項目を見てみますと「一緒にいて楽しいこと」「一緒にいて気をつかわないこと」も男女とも7割以上結婚相手に求めていることが読み取れます。
確かに一緒にいて楽しかったり、気を使わない相手ではないと結婚相手として考えるのは難しいかもしれません。結婚すれば(おそらく)一緒に暮らし大半の時間を結婚相手と過ごすことになるのですから、その相手といて「楽しくない」とか「気をつかう」と大半の時間を感じるのであれば、その結婚関係が遅かれ早かれ破綻していくことは容易に想像できます。
価値観が近いことっていうのはどうでしょうか?確かに自分が宗教にこだわりがなくとも、結婚相手が熱心な新興宗教団体に属していてナンタラカンタラだと結婚するのは難しいかもしれません。しかしながら、フットサルをするのが好きな男性と家でゲームがするのが好きという女性だとどうでしょう。一般的になアウトドア派とインドア派です。価値観が近いとは言えないカップルでしょう。男性はフットサルに価値を見出し、一方の女性はゲームに価値を見出しているのですから価値観はむしろ離れています。
しかしながら、このようなカップルは意外とうまくいく場合が多いです。具体例は私の知人です。男性がフットサルに行くとき、女性は嫌々ついて行ってたのですがフットサルもゲームです。勝ち負けがあります。それに徐々に興味を持った女性は家でプレイするゲームもサッカーになっていきました。そして共通の趣味がサッカー観戦になっています。このようにうまくいく場合もあるのです。
それぞれ個人は価値観が全く同じ、つまり真善美の価値判断基準が全く同じ人間なんてそもそもいません。似ているようでどこか違う人がいるこそ他者という価値があるのです。だから「違う価値観」を前提に社会生活していることが重要なのですが、社会でのコミュニケーション不足などにより「自分と同様の価値観を誰もが持ってるはず」という傲慢な思考回路を持っているがために「結婚」自体が遅れて晩婚化どころか未婚化という事実が生じているのではないでしょうか。
もちろん私も未婚で例外的な存在ではありませんので偉そうなことは言えません。しかしながら、価値観が近いことを結婚相手に求めるという「価値観」自体を変える時期なのではないでしょうか。つまり「寛容さ」が必要なのです。多様な価値観を受け入れられる「寛容さ」です。
こういう寛容さが日本には必要 pic.twitter.com/XDOsnymxYE
— 風原(にむ) (@kazawara) 2016年4月22日
閑話休題。上のTweetの画像を私なりに言葉を補って意訳すると「客側がこのような店を受け入れる寛容さが日本には必要」と捉えられます。
さて話を戻します。現在の時代の流れとして、多様な価値観の存在を認め合うことが重要なことなので、価値観の近い人を探すのも良いかもしれませんが、「多様な価値観を受け入れられる寛容な人間」をパートナーとして求めるのが適切であり、自分もそういう人間であることが重要なのではないでしょうか。
まぁ、価値観が近くなくても、一緒にいて楽しかったり気を使わない相手ということは、その相手が「寛容」な証左であるかもしれません。相手が自分の価値観を受けれ入れてくれているからこそ、一緒にいて楽しくて気を使わないのかもしれませんから。