他人の意見をまず「否定」することが自分の意見の「肯定」になると思われている人々がいます。これらの人々を「否定論者」と呼ぶことにします。
否定論者の口癖
「いや」とか「でも」を会話の冒頭につけるのが癖になっている人々や、「そんなことできないよ。」「絶対無理。」「そんなの馬鹿らしい。」「そんなことありえない。」と可能性の存在を認めない人々がいます。さらには他者の趣向、つまり価値観を否定してくる人々もいます。例えば、他者が好きな料理をマズイと言ってきたり、他者が興味のあるニュースを興味ないし面白くないと言ってきたりという人々です。価値観の多様性という概念がどうやら彼らには欠落しているようです。
反対論者ではない否定論者
結局、これら否定論者は否定するだけで反論をしないのです。たしかに否定「論者」と一見、否定することで論理も備えているような呼び方です。しかしながら実際は他者の意見の否定に固執するだけで、その否定の論拠となる自分に意見がないことが極めて多いのです。ここが否定と反論が決定的に違うところです。前者はとにかく意見に賛成できない意志の表明です。後者はその意見に賛成できない意志を表明しつつ、その論拠を示しかつ反対意見を提示して、さらにその反対意見の論拠を明らかにします。
否定論者にはウンザリ
日常生活で否定論者に出会うと、自分の存在自体が否定される気分になる恐れがあります。ですから否定論者とは疎遠になるように出来る限り私は会わないようにしています。否定的な(ネガティブな)人々と時間をともにするくらい無駄どころか人生においてマイナスなことはありません。
日常生活ですら否定論者にはウンザリなのですが、政治の場における否定論者にもウンザリさせられます。とにかく否定!否定!否定! 反論をするどころか対案さえ出さない。本当にこういう人々がなぜ政治家をしているのか不思議になります。なるほど、否定論者が彼らに投票して当選させたのだろうと納得するしか無いです。